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TAKASHI TSUDA / hofli WEB SITE

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hofli 『十二ヶ月のフラジャイル』

『十二ヶ月のフラジャイル』通常盤が出来ました。カレンダーとしても使えるハーフサイズのカード12枚封入。2016年5月より販売しています。

hofliのあたらしいアルバム『十二ヶ月のフラジャイル』がリリースされました2014年10月13日リリース元であるdrop aroundの新しい拠点M&W(札幌)でのサウンドパフォーマンスを先行発売とし、2014年10月24日東京・書肆サイコロでのサウンドパフォーマンスでも販売いたします。その後、10月26日ごろから順次お店でのお取り扱いを開始します。
このリリースに合わせたイベントは、12月にかけて札幌、東京、福岡、関西と巡ります。ワークショップのみ、またサウンドパフォーマンスのみ、あるいはその組み合わせのツアーとして、各地でお披露目いたします。今後詳細整い次第アップしていきますので、どうぞ情報お見逃しなく。

2015年春には甲賀、金沢、仙台、盛岡公演を開催。(2015年追記)


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hofli / 『十二ヶ月のフラジャイル』

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収録曲

01. 薄明のエーテル
02. にびいろ
03. 三月の水辺
04. 真珠星
05. 残丘
06. 夏至を忘れる
07. 分水嶺
08. 星を映す地図
09. 月光採集
10. O岬灯台にて
11. 渡り鳥と天気管
12. シベリア気団より

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このアルバムは、デザイン・ユニットdrop aroundによる「音のカレンダー」という発案に基づいて制作されたものである。当初は、いつもお世話になっている彼らに協力するくらいの軽い気持ちで、これまで録りためたフィールドレコーディングのアーカイブからカレンダーに添える音源を選んでもらおうと考えていたのだが、いざ話が進んでみると、drop aroundに完全に乗せられてしまったようだ。カレンダーの付録として季節の音がくっついている、のではなく、むしろCDにカレンダーがついているイメージと言われ、月ごとの楽曲きっちり12ヶ月分が入ったアルバムを仕上げる按配になったのだった。drop aroundについていくと、いつも見知らぬ風景に出会うことになる。さすがは旅するデザイン・ユニット、彼らの視点やものつくり自体が旅人の眼差しなのだ。

カレンダーとして発売する必要上、秋には完成していなければいけない。だから秋や冬の訪れを待ってその季節の音を録音していたのでは、発売はもう一年先になってしまう。結局はフィールドレコーディングそのものではなく、これまでの手法をあらためて振り返り吟味しながら方向を探ることになったのだが、drop aroundはそんなこと最初から織り込み済みだったようだ。季節ごとのフィールドレコーディング素材を構成する、というアイデアだけはあったが、春だからウグイスとか夏だから蝉とか、そういうのは避けたい。季節は目に見えるものばかりじゃなく、進んだり戻ったり徐々に移り変わったりある日突然新しくなったりして進んでいく。そんな何気ない日々の暮らしのなかで、ふとした匂いや肌触りを感じるようなのがいいな。歳時記よりも、日々の日記のようなもの。

出来上がったのは、フィールドレコーディングに基づいて、モンタージュしたりコラージュしたり素材を変調したり楽器の音を加えたり、という「サウンドトラックもの」だが、フィールドレコーディングを削り出しただけのもの、つまりフォノグラフィー的なトラックも入っている。はっきりした景色が浮かぶものもあれば、滲んだ色彩のような雰囲気のものもある。季節とは関係なく聴こえるものもある。聴く時期によって聴こえ方が変わるだろうし、意外に冬の音を夏に聴いたほうが気持ち的にはしっくりきたりもするかもしれない。

ふとしたときに季節の移り変わりを感じるように、折々に思い出したように聴いていただけると幸いです。

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01. 薄明のエーテル   一月
年明け早々のまだ暗いうち、とある白鳥渡来池まで車を走らせた。白鳥を驚かせないようにそっと機材をセットする。やがて空の一カ所に燠火のような鈍い赤が現れ、白々と夜が空けていくと360°見渡す限りの水田であることがわかった。遠く貨物列車が鉄橋を渡るころには、あたりに農村の朝の気配が満ちてくる。氷点下の気温に手足ともに感覚はなくなり、鳴き交わす白鳥の白い息を眺めながら、体温があることについて考えるともなく考えていた。

02. にびいろ      二月
2014年2月に開催した鉱質インクと音の滲みによるインスタレーション『にびいろ』。その音源を再構成したものである。雪が降りそうな蒼鉛色の空、水が凍ってゆく過程のように、時間はみぞれのように結晶していく。そんなイメージで制作したのだが、実際に、展示期間中に記録的な大雪に見舞われた。立春の頃、陽光の感じが変わるのがわかる。ひかりはあたらしく、空気は冴え冴えと澄んで、最も好きな季節である。

03. 三月の水辺     三月
三月の水というボサノヴァの曲があるが、ブラジルにも雪解け水はあるのだろうか。雪解けの青白い川の水を雪代(あるいは雪汁)というそうだが、このせせらぎは雪解け水ではない。マイク(水没させてもいいように安いマイクを使う)を水面ギリギリに近付けると、まるでプラスティックのような水音が録音できる。水の音をずっと聴いているとヒプノティックだ。ギターと水音をmax/mspで変調した音源は、相応しい出番を待ってHDに保存されていたもの。春の小川の音と合わさって馴染んだように思う。

04. 真珠星       四月
ワークショップ「みみをすます」のときに、散って生乾きになった桜の花びらが風で流されていく音を聴いたことがある。清浄な、荘厳な、うつくしい時間だった。そんなイメージどおりの音が録音できたらいいが、だいたいにおいて音の印象は脳内で再構成されたものである。あのときレコーダーを仕掛けてあったとしても、あの清浄さや荘厳さが録音できていたとは思えない。というわけで、このアルバム中この曲だけフィールドレコーディングを使わなかった。これはエレクトリックギターによる音響彫刻である。四月は桜が咲いたりツバメが来たりあたらしい年度が始まったり、何かと慌ただしいのだ。青くて暖かな春の宵は、そんな慌ただしさから離れて、静かに空を見上げていたくなる。真珠星=スピカは春の星である。

05. 残丘(モナドノックス)  五月
あるとき初夏の山に身を浸したくて矢も楯もたまらず、寝袋も用意せずレコーダーだけ持って檜原村に出掛けた。そのときに録音した音源(空が白みはじめてから陽がのぼるまでの間の音風景の驚くべき変化)があるのだが、あまりにドラマティックすぎて今回も結局その音源はお蔵入りとなり、かわりに、ぽそぽそと春の雨の降る地味な音源をmax/mspで変調し構成した。春にしては寒く東風が吹きつける緑の丘、濃い霧のかかった風景。宮沢賢治が描くモナドノックス、あるいはノルシュテインの描く霧の中のハリネズミの心象か。

06. 夏至を忘れる    六月
おなじ季節の、ふたつの異なる川のせせらぎのシチュエーション、ひとつは遠くヒバリやカジカが鳴いている。両方にホトトギスの声がうまく入ったので、それをカメラのパンのようにクロスフェイドさせて拵えた。これはインスタレーション『Optics of the Garden』で使用した音源を再構成したものである。フィールドレコーディングの世界では、録音したままの素材を「ストレート」、EQはじめ何らかの加工をしたものを「プロセス」と呼び、「ストレート」を至上のものとするフィールドレコーディング原理主義がある。しかし、映画のように編集し構成することも、ぼくにとっては興味深い手法なのだ。

07. 分水嶺       七月
ある山の頂上付近で録音した。マイクは草むらに転がしておいたのだが、かえってうまく地上付近のミクロな世界を捉えている。なるべく地上すれすれに顔を近づけて、小さな世界を覗き込んでみる。雪片曲線のように、拡大していけばそこにも同じように切り子細工のように世界が広がり、覗き込めば覗き込むほど世界はさらなる眺望を開示してくる。マイクロフォンによる世界の拡大は、フィールドレコーディングの面白さのひとつである。ぼくはというと、ヘッドフォンをはずして少し離れたところで顔に麦わら帽をかぶって昼寝していたのだった。ここでのギターはぼくが見た夢の断片ということにしておこうか。

08. 星を映す地図    八月 
晩夏の沖縄、もちろん陽射しは圧倒的に強いが、やはりそれは南国なりに晩夏なのだ。陽が落ち、見上げると満天の星空、珊瑚の白砂の細道がずっと向うまで仄光って見える。アダン葉ぞうりの感触、フクギ並木の樹上には何かの虫が高い周波数で鳴いている。フクギの実を食べに集まったリュウウキュウオオコウモリ。静謐ではあるが、魑魅魍魎が潜んでいるような、ただならぬ気配。キジムナーにいたずらされないように、息を潜めて宿に帰った。

09. 月光採集      九月
月夜のすすき原。エレクトリックギターによるアンビエントものと言えるが、徐々に耳が開き虫の音がよく聴こえるようになっていく、という心象のスケッチとして構成した。心はいつも曖昧で不定形な輪郭をもっていて、気温や湿度と解け合っている。夏が冷めて白露にぬれた下草の感触、光がなんて青いんだろう。サウンドスケープを聴いて感じる心象風景は、それぞれの体験や身体感覚と結びついているのだと思う。夏のほとぼりが冷めていく身体感覚。

10. O岬灯台にて    十月
岬や灯台に惹かれる。海に向かって開かれてはいるが、世間からは閉ざされた静謐な世界。フィールドレコーディングを目的に何度も同じ場所を訪れるのは確実な方法だが、O岬にはこのときの一度しか訪ねたことがない。旅先で二度と遭遇することのないシチュエーションがたまたま録音できることもある。こんなふうに風が凪ぐというだけのことでも、しょっちゅう訪れるわけにいかない場所では貴重なチャンスなのだ。冒頭の音は、後半に出てくるフィールドレコーディング素材をmax/mspで変調したもの。新しい手法を模索する一方で、こんなふうにこれまでずっと続けてきたやり方でまとめることにも、常に新鮮さはあるのだとあらためて思った。

11. 渡り鳥と天気管   十一月
この曲のモチーフは他のアルバムで聴いたことがある人もいるだろう。それを、まるで天気管の中の結晶世界を耳で眺めるような音響として構成したものである。窓の外には渡り鳥の気配がして、たっぷりの紅茶をいれたポットがあって、天気管を眺めるうちに、自分もその中の住人となって、あたりの音にみみをすましている。秋が深まるにつれてインドアな気分になってくることもあって、秋の音というとあまりフィールドレコーディング素材からピンと来るのがなかったが、ダクトのモーター音にうまく馴染んだのは、冷蔵庫のうなりと同じく50Hzという電源周波数とこの曲のキーが共鳴するからなのだろう。

12. シベリア気団より  十二月
気象通報を聴くのが好きだ。天気図を俯瞰的に眺めるよりも、ここからの近さ遠さを思い、地点をひとつひとつ想像しながら辿っていく感覚が音楽的で好きなのだ。ある晴れた冬の日、風の強い朝早く、レコーダーを持って近くの雑木林に自転車を走らせる。もちろん、風の音を録音するのはむつかしく、マイクの吹かれノイズを回避するのは至難の技だ。風が遠くの音を運んでくる。信号が変わり、鳥が横切り、セスナがやってくる。すべての出来事は風の動きと関わりがあるように連動していて、世界は不思議に満ち満ちている。ここ、と、どこか。近く、と、遠く。シベリア気団より、冬の知らせを受信する。




hofli『十二ヶ月のフラジャイル』お取り扱い店
(2014年12月18日現在)


M&W by drop around(札幌)

http://www.droparound.com/mw


pastel records(奈良・online)

http://pastelrecords.cart.fc2.com/ca19/35/p-r-s/


reconquista(online)

http://www.reconquista.biz/SHOP/DR002.html


knulpAA gallery(東京・石神井)

http://www.knulp-a1.com/knulpgg/


雨と休日(東京・西荻、online)

http://shop.ameto.biz/?pid=84665871


gift_lab(東京・清澄白河)

http://www.giftlab.jp/


iTohen(大阪・本庄)

http://www.skky.info/


toori(福岡・早良)

http://toricoffee.info/


ftarri(東京・水道橋)

http://www.ftarri.com/suidobashi/


書肆サイコロ(東京・高円寺)

http://www.frimun.info/saicoro/









































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by hofli_works | 2014-07-08 10:10 | hofliの作品
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